仕事の辛い気持ちに耐え切れず退職をした教師が伝えたいこと

仕事の体験談 仕事の疑問 仕事上での心の悩み

仕事が辛い。これから自分はどうしていけばいいのだろう…

仕事が辛いと感じる時はなにをしても億劫で、辛いという気持ちをもっている自分が情けなく感じてしまったりして、さらに落ち込んでしまうなど…ストレス社会と呼ばれる今の社会ではそのような辛い思いをしながらも懸命に頑張っている方が多いかと思います。

今回はそんな辛い仕事に耐え切れず、退職を余儀なくされた方のの体験談、そして彼が今現在仕事が辛いと感じている人に対して伝えたいことを紹介していきたいと思います。

仕事の辛さに耐え切れず退職を余儀なくされたAさんの体験談

私は現在56才になる男性です。

27年間同じ仕事を続けてきましたが、辛い気持ちが強く、ついにはその仕事に耐えられなくなってしまい退職しました。

なぜ私が退職したのか、退職に至るまでにどういう事があったのか、もし今退職を考えている方がいらっしゃったとしたら、その参考になればと思い私の体験を綴らせていただきたいと思います。

あわせて読みたい→仕事が辛い時どうしてる?30人にアンケートを取ってみた

26歳の時に教師として働き始める

私は田舎の高校を卒業して東京の大学へ進学しました。

そして26歳の時に卒業しています。入学する前は一年間浪人をしていますので、大学へは7年間通ったことになります。

3年間留年をしていたのです。

ここでは留年の理由について細かく語る事はしませんが、私の【嫌な事があったらすぐに投げ出してしまう】という性格が災いしたのだと思います。

困難に立ち向かうという勇気、悪い状況を打破していく姿勢というものに欠けていたんだと思います。

大学で所属していたサークルで、少しばかり責任の思い役職を任された時、それが嫌で学校から足が遠ざかり、それで学校へも行かなくなってしまったのです。

もしかするとそのような性格が、私が仕事を辛く感じ、退職に至った最大の原因だったのかもしれません。

26歳で大学を卒業した私は地元の教員採用試験を受けました。

すでに26歳でしたし、3年間も留年しているので一般企業を受けたとしても内定などもらえないと思って、教員採用試験一本に賭けました。

結果、運よく合格することができ、私は県立高校の社会科の教師として働き始めました。

採用された時はとても嬉しかったです。もともと教師という職業にはあこがれがありましたし、なかでも高校の教師というと少し偉くなって社会的な地位・名声も手に入れたんじゃないかと、今にして思えばまったくナンセンスな自己満足がありました。

そのような【私は高校の教師だ】というプライドが、その後の私の教師生活を狂わせていったのかもしれません。

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周りとの歩調を合わせ無ければいけないんだということが理解できていなかった

教師になって最初に赴任したのは漁港近くにある高校でした。

赴任そうそう、新しく赴任してきた教師達のための歓送迎会がありました。

主役である着任教師は全員スーツ姿で会に参加していたのですが、私はカラフルなニットシャツを着て出かけました。

 

そもそも、【そのような会ではスーツを着用】というような一般常識が私にはなかったのです。

それだけでなく【こういう服装をしていけば、型破りな教師に思われるのではないか】というバカげたことを考えていた一面もありました。

しかし会の半ばごろ来賓として参加していたPTA会長に別室に呼ばれ【その服装は何ですか。あなたには常識がないんですか】と、きつく注意を受けました。

この時に【ああ、社会では周りに歩調を合わせていかなければならないんだ】という事に気づくべきだったのですが、それどころか私は【こういうふうに目をつけられるのも熱血教師っぽくていいな】というような、まったく愚かなことを考えていました。

そのように【ちょっと目立ってやろう】的な考えを持っていた私は、この後コテンパンに打ちのめされることになります。

生徒になめられてしまう

最初の赴任校は漁港の近くにあったせいもあり、生徒の気性には激しいものがありました。

それでも教師になったばかりの私は頑張って生徒と接していました。

【友達感覚で生徒と付き合える教師は良い教師】

という、今で考えればまったく間違った考えの元、私生活と仕事をごっちゃにしてしまい、放課後になると生徒を自宅に呼んで、彼らに自分の部屋を開放していました。

 

それが段々とエスカレートしてしまい、次第に生徒たちは私がいない時にも勝手に私の部屋に上り込み、その部屋でタバコを吸い、私が貯金箱に貯めていた小銭を平気で持ち去るようになりました。

その時に毅然とした態度で生徒を叱るべきだったにもかかわらず、私は彼らに嫌われまいとして【おいおい、そんな事したらダメだぞ】としか言えませんでした。

自分が生徒からどういうふうに見られるのか、生徒に人気のある教師でいたい、そういった事を優先してしまっていたのです。

自分の事しか考えられず、【自分の仕事とは何なのか】を忘れてしまっていた私は本当に情けなかったと思います。

仕事をしていく上では、【自分が相手からどう見られるか】という事は考える必要はないのです。

自分の評価は後回しにして、ただ淡々と自分に与えられた仕事を忠実にこなしていけばそれでいいんだと思います。

それが仕事が長続きするコツなのではないでしょうか。あの時、私がその事に気づいていればよかったと後悔しています。

別の学校へ異動する

最初の赴任校で3年を過ごし、私は別の学校へ異動になりました。

だんだんと仕事が辛くなり、ちょくちょく欠勤するようになったのはこの頃からです。

 

2番目の学校は農業高校でした。前の学校にもまして気性が激しい生徒がそろっていました。

その生徒を抑え込むためか、農業科の先生たちは威圧的な態度で生徒と接していました。

しかし私はそのような強い態度で生徒に接することが出来ず、だんだんと生徒に舐められ始めました。

生徒に舐められる事は前の学校でもありましたが、今度の学校でもっとひどいものでした。

 

授業が始まっても教室に入らない、授業中も私語がやまない、試験中であるにも関わらず勝手に立ち歩く、そんな状態でした。

私は対応に苦しみ、段々と学校へ行くのが辛くなってきました。

今思えば、その時に私が取らなければいけなかったのは

  • まわりの先生たちに助けを求める
  • アドバイスをもらう
  • 悩みを打ち明ける

という事だったと思いますが、私にはそれが出来ませんでした。

私には【助けを求めるの弱い人間である証拠】という間違った思い込みがあったのでしょう。

 

変なプライドが邪魔をして、私は誰にも仕事の辛さを打ち明けることが出来ませんでした。

おそらくその時に誰かに相談していたら、きっと誰もが私を助けてくれたでしょう。

もしも今仕事で悩んでいる人がおられたとしたら、まずはまわりの誰かに相談してみてください。

相談するというのは決して恥ずかしい事でもありませんし、その事によってあなたが弱い人間である、などと考える人は決していません。

おそらくその相談をする人も以前に同じ悩みを抱えていたはずです。

きっといいアドバイスがもらえるでしょう。またアドバイスがもらえないとしても、悩みを吐き出すことによって、気が晴れるのではないでしょうか。

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相談できないがゆえに深みにはまっていく

しかし誰にも相談することが出来なかった私は、自分自身でどんどん深みにはまってきました。

朝起きても【また学校へ行けばあの苦しみ・辛さを味わうのか】と思うと、学校へ行く勇気も気力もなく、体調不良を理由に欠勤することが増えてきました。

心配した同僚の先生から【大丈夫か?】という電話が入っても【はい、だいじょうぶです】とは答えるものの、正直言ってそんな気遣いさえ鬱陶しく思えました。

 

あの時、素直に【辛いです】という事さえできれば、どんなに楽だったことでしょう。

そして酒に走ってしまう

そんな毎日が続いて、私はだんだんと酒で辛さを紛らわせるようになってきました。

夜の飲酒はもちろんの事、あろうことか学校内で隠れて酒を飲むようになりました。

通勤途中に自動販売機でカップ酒を2本買い、一本はその場で飲んで、もう一本は学校内の誰も来ない部屋で飲んでいました。

そんな状態ですから授業すらまともにできず、【今日は各自で自習しろ!】と言い、私は教壇にうつぶせになって眠っていました。

何もすることがない生徒が退屈がって教室から出ようとすると【教室内で静かにしていた者には、今度のテストで点数アップ】などという情けない方法で静かにさせていました。

 

確かに苦しい事、辛い事があると酒を飲みたくなる気持ちはわかりますが、決して酒では仕事の辛さを解消することはできないと思います。

一時的に仕事の辛さを忘れても、酔いが醒めれば以前にもまして辛さがのしかかってくるのではないでしょうか?

酒で逃げる、という事はかえって事態を悪化させるだけだと思います。

仕事の辛さが限界へ 精神科へ通う

そうして酒で辛さを紛らわせる、というか、酒を飲みながら仕事を続けていた私ですが、長期の休みを取るようになりました。

それまでは休んでも週に2,3回だったのですが、そうやって休めば休むほど次に仕事に行くのが億劫になっていきます。

仕事が辛くて休みたい気持ちはわかりますし、本当に辛い時には休むのも必要でしょうが、休めば休むほどだんだん仕事から遠ざかるものという事はわかっていた方がいいと思います。

けっして【無理をしてでも仕事に行け】というのではありませんが、その事だけはわかっていた方がいいと思います。

たとえ休んだとしても、辛さの理由の根本の原因を解決しなければ何にもならないという事です。

長期の休みを取るようになったと言いましたが、私の場合は精神科へ通い医師に診断書を書いてもらって病気休職に入りました。

 

正直言って、病休に入った時はとても嬉しかったです。

もう毎朝毎朝あの苦しみを経験しなくていいんだ、と思えば天にも上った気持でした。

しかし今思えばこの病休の間にしっかりと治療すべきだったのです。

ところが私は仕事から解放された喜びから、ただ何もせずにだらだらと病休の期間を過ごしてしまいました。

精神科には通っていましたが、先生には【もう大丈夫です】と言っていました。

 

確かにこの時は仕事に入っていませんから、何も悩みはありませんでした。

しかし、本来はこの時に【以前はこういう状態で辛かったです。今度あのような状態になったらどう対処すればいいでしょうか】と、今後の事を相談していればよかったと思います。

しかし、【いつまでも病気を引きずっているのは弱い人間】という、またまた変な考え方にとらわれてしまって、私はせっかく通院しているのに何もアドバイスを貰う事が出来ませんでした。

現在、仕事に悩み通院している方もいらっしゃると思います。

それぞれいろいろなタイプの精神科のお医者さんがいらっしゃるとは思いますが、何も遠慮することなく、自分の持っている事、悩みをすべてお医者さんに吐き出してみてください。

もしもそういう事をして嫌な顔をするような医者がいたら、医者を変えた方がいいと思います。

やたら薬だけは大量に出すが、患者の悩みを真剣に聞いてくれない、高圧的に【こうしていなさい】と言ってくる医者はあまり良いお医者さんではな異様に私は思います。

【自分の話に耳を傾けてくれる医者】をぜひ見つけてください。その前に、まずはお医者さんにかからなくてもいいように、自分の悩みを真剣に聞いてくれる友人・同僚・先輩を見つけた方がいいとは思いますが。

精神科で。私はレキソタンという抗鬱剤を処方されていました。

 

今にして思えばこの薬は私には合いませんでした。飲めば確かに即効性があって気分が晴れるのですが、その効き目が切れるとまた気分がすぐに落ち込み、その落ち込みを紛らわせるためにまた薬を飲む、というようになっていきました。

レキソタンという薬が悪いというよりは、辛さを自分で解消しようとはせずに、薬に頼ってしまった私が悪いのでしょう。

仕事が辛い…楽になりたいと思った

50才になった時、私は薬を飲んで楽になろうと思いました。

4月だったと思いますが、その年の3月まで私はまた病気休職を取っていて、しばらくぶりに学校へ復帰したばかりでした。

4月のある日、学校で仕事をしていたのですが、ちょっとイヤな事があってお昼頃に早退をしました。

早退をする時には教頭に年次有給休暇の許可申請の書類を提出していかなければならないのですが、私はそれを出さずに無断で学校から家に帰りました。

 

理由は教頭と顔を合わせたくなかったからです。

この教頭とはあまりそりが合わず、なるべくなら関わり合いたくなかったですし、私一人が学校にいなくてもばれることはないだろうという、まったくもって自分勝手な考え方でした。

しかしその翌日、私が学校の廊下を歩いていると教頭に呼び止められ【○○先生、昨日の午後はどこにいましたか】と聞かれました。正直に【家に帰ってました。書類はあとで出します】と答えましたが、それを聞いて教頭は激しく私を叱りました。

叱られたのは私が悪いのですが、叱った場所は生徒や同僚の職員が歩いて行く場所です。

私は叱られた内容よりも、そんな場所で生徒たちのさらし者になっている事に耐えられませんでした。

私のそのような醜態を見たら、生徒たちは今後私の言う事を聞くでしょうか?

私のメンツは丸つぶれです。その時点で私はもうこの学校へは二度と来たくない、と思いました。上司が部下を叱る時にはまわりの状況をよく確認して欲しいと思います。

しかし、それよりもその時に自分のメンツとか【生徒からどう見られているんだろう】と考えていた私自身が情けなく思います。

【悪いのは私だから】と割り切っていればよかったのに、変なプライドが邪魔をしてしまったのです。

叱られたことを引きずってしまっていたのです。仕事で叱られることはたくさんあるでしょう。しかし、叱られたことはその場限りで忘れることが大事なのではないでしょうか?

いつまでも引きずってしまうと、余計に辛くなります。さっさと叱られたことは忘れて、二度と同じ間違いをしなければいいだけの事です。私もそうすればよかったと後悔しています。

教頭に叱られてから一週間後、大量のレキソタンと内科で処方されていた降圧剤を大量に飲みました。

両方の手のひらいっぱいに山盛りにした薬を水で流し込んだのです。

薬を飲んだ私はそのまま家の外に出て庭に倒れていたようです。

 

家で飼っている犬が、私がいつまでたっても倒れているのでワンワンと吠えたて、それに気づいた近所の人が救急車を呼んでくれました。

それから3日後、私は救急病院の集中治療室で目覚めました。もう少し発見が遅れていたら危なかったそうです。家の犬に感謝です。

そのまま私は5日間集中治療室で過ごし、一般病棟に移ったのち、その病院から直接精神病院へ搬送されました。依然かかっていた精神科とは違う病院です。

ちなみに私は今もこの病院にかかっています。私の担当になった先生と気が合うのです。私の話をニコニコしてなんでも聞いてくれます。

それまでは誰にも言えなかった悩み、苦しみを、その先生にならば何でも言えます。言ってものすごく気が楽になります。このように、相性の合うお医者さんと出会う事はとても大切な事だと思っています。

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ついに退職を決意

さすがに仕事の辛さに耐え兼ねて私はもう仕事は辞めることを決心しました。

しかし、退職は決めたもののすぐには退職せずに、その後3年間の病気休職に入りました。

なぜその時に退職しなかったかというと、その時点で勤務年数が25年に達していなかったからです。公務員は25年間勤めると共済年金の受給資格がえることが出来ます。

そこで年金をもらうために3年間教師としての籍を残しておいたのです。

この考え方に対しては賛否あると思います。そんな汚い事をしてまで年金をもらうのか、というご意見もあるでしょうが、私が思うに、使えるものは使えるだけ使うべきなのではないでしょうか。

それがそれまで働いてきた者の権利なのです。もしも今退職をお考えの人がいるとしたら、退職の時期、方法についてはしっかりと考えた方がいいと思います。

いつ、どのような方法でやめれば一番有利なのか、それをしっかり調べてから退職することをお勧めします。

間違っても勢いで退職届を提出するのではなくて、どうせやめるんだからと思って、最後の最後まで利用できるものは利用してください。

たとえ同僚たちから何を言われようとも、退職してしまうのですから、何を言われても平気です。あとあと後悔しなくていいように、退職の時期は誤らないでください。

体験談を通して仕事が辛いと悩んでいる方に伝えたいこと

そうして53才の時、私は27年間続けた教師という職を退職しました。

今から思えば楽しかったこと3割、辛かったこと7割という教師生活でした。

退職した今の心境は、とてもすっきりしています。

60才の定年まで勤めることが出来なかったのは残念ですが、その分、穏やかな生活を手に入れることが出来ました。

ブルーベリーの苗を庭に植え、その成長を毎日眺めるのが日課になっています。

退職してよかったとも思っています。あのまま辛い思いをして仕事を続けていたら、また同じようなことを繰り返していたかもしれません。

 

現在仕事に悩んで辛い思いをしている人がいたとしたら、決して命を粗末にすることだけはやめてください。あなたの命以上に大切な仕事なんてありませんから。

辛い仕事だと思っときは【たかが仕事さ】と割り切ってみてください。

仕事における自分の評価など気にせずに、同僚からどう思われていたっていいじゃありませんか。そして、ただ淡々と風邪まかせに揺れている柳のように、その仕事を忠実にこなしていってください。

それでもやっぱり辛かったなら、その時は退職しても仕方ないと思います。

その時にあなたの事を【我慢が出来ない人】なんて悪く言う人なんていませんから。

たとえいたとしても、そんなこと気にしないでください。その仕事よりも、もっと大切な何かを見つけたらいいだけの事です。次の仕事でそれが見つかるかもしれませんよ。

最後になりましたが、つたない文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。

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