「仕事ができない」から脱け出す最も簡単な方法

仕事ができない
仕事の疑問 仕事上での心の悩み

「仕事ができない」と悩む人は、それこそ数えきれないほどいます。あるいは、上司や会社から、お前は「できない」宣言されてしまった方もいるかも知れません。

けれども、いきなり結論から言ってしまえば、仕事のできない人など存在しません。

その半数以上は、その仕事が自分自身に「向いていない」か、もしくは、そう「思い込んでいる」のです。

たとえば、学生時代は野球部でピッチャーで4番だった人がいます。

惜しくも決勝で破れ甲子園こそ逃したものの、彼はその部活動においては、まちがいなく「仕事ができる」人でした。それもこの上なく、ほぼ地域で一番「できる人」であったわけです。

が、プロ野球選手以外では、野球を生業とすることはありえませんから、普通に就職して営業課に配属されたとします。

会社は、彼に対し、打率も制球力も望んでいません。もし、売り上げが上がらなければ、「仕事のできない」人という評価になります。

これは、けっして極端な例ではありません。

それどころか、多くの「仕事ができない」と悩む人に当てはまります。

ゴッホは仕事ができなかった?

単純にジャンルの違いだけではありません。

もっと極端な例で、たとえば画家の故・岡本太郎氏は、日本が世界に誇った人間国宝級のアーティストですが、デザイン会社に入ったとして、彼は「仕事ができるデザイナー」と評価されたでしょうか?

岡本氏は、それ以前に、第二次世界大戦に徴兵されましたが、30歳という高齢の兵役で、年下の上官から怒られるという苦々しい経験をしています。

年下の上官からすれば、彼の芸術性はどうでもよく、歳だけくった「仕事のできない」兵隊であったわけです。

また、今でこそ1枚数億という価値のつく世紀の天才画家ゴッホは、現役時代に売れた絵は、たったの1枚だけ。

評価されるようになったのは、彼の死後のことで、当時はこれほど「仕事のできない」画家はいなかったとも言えます。

仕事が「できる」「できない」は評価基準で変わる

もちろんまったく逆の例もあります。

『アンパンマン』の故やなせたかし氏は、かつて大手デザイン会社に所属しておて、あの三越の包み紙をデザインし、現在でも使われています。

さらに有名どころでは、世紀の奇才ダリは、チュッパチャップスの包み紙をデザインし、この意匠は現在もそのまま使われています。

つまり、仕事の「できる」「できない」は、その評価基準によって、まるで変わってしまう、ということです。

人生においては、仕事の占める割合が大きいですから(特に男性は)、仕事がうまくできないと、そのまま「人間としてダメ」な気になってしまいがちですが、それは大きな間違いです。

スポンサーリンク



仕事が「できない」責任は、貴方だけにあるわけではない

そんなに天才みたいな例を挙げずとも、たとえば会社で経理を担当している優秀な課長がいたとして、その人が営業課に配属されていたなら、課長という地位になれたでしょうか?

 

たいていの場合、そうはならなかったでしょう。

課長がもし最初から経理課を志望したのであれば、彼は「選択が良かった」ということに他なりません。もし会社から命ぜられたのであれば、会社の「選択が良かった」ということです。

もし、貴方が会社から「仕事ができない」と評価されているとすれば、その責任の半分、もしくは半分以上は、所属している会社にある、とも言えます。

しかし、社会人になり、一旦職業を選んでしまうと、評価基準を変えるのは、並大抵のことではありません。

貴方がまだ若く、社会人をやり始めたばかりなら、評価されるべき組織へ移る手もありますが(けして悪手ではない)、ほとんどの方は、そう簡単にはいかないでしょう。

では、どうすればいいのか?

なにと比較して「できない」のか?

ここまで、仕事ができない場合の、外的要因を述べました。

その責任の半分は、確かに外にあるのかも知れません。が、残りの半分は、間違いなく自分自身に(も)あります。

周りを見渡して、その組織の誰もが仕事ができていなければ、それは所属する組織側の責任であると言い切れますが、おそらくはそうではないでしょう。

だから、自身でも「仕事ができない」と悩んでいるわけですね。

そこには、「彼より」「彼女より」という比較の前置詞がつきます。

組織の中にいる以上、『靴に足を合わせる』のが社会です。

与えられた仕事に対して「できる」のか、「できない」のか。これが組織の下す評価です。

では、そこらへんを冷静に分析してみましょう。

時間的な「できない」

もし、組織から「お前は仕事ができない」と直接言われているか、あるいは不当に賃金が低いとかでなければ、その大半は、自虐的な思い込みです。

実際には仕事が(組織が期待する程度には)できているのに、「できない」と自身に信じ込ませてしまっているのです。

ひとことで「仕事ができない」と言っても、いくつかの秤があります。

まず、

①時間的に「できない」

同僚は、同じ仕事を与えられているのに定時で帰れて、自分はいつも残業しないと終わらない、とかいった場合です。
つまり、機械で言えば、処理速度が遅い「できない」です。

ありていに言ってしまえば、これは「できない」うちに入りません。もし、そのことで悩んでいる方がいるなら、その考え自体が間違っていると忠告します。

これは、小学校時代から、ずっと「競争」で育って来た環境によるものなので、貴方個人を責められませんが、人間の「慣れ」と「処理速度」は千差万別であって、けして同一ではないのです。

足が彼と同じく2本あるから同じ速度で走れるか?というのと同じことです。

同様に、「慣れる」までの時間も人によって違いますから、時間が異なるのは当然のこと。

別に丁寧に時間をかけてやればよいのです。

この時に比べるべきは、同僚の処理速度ではなく、過去の自分です。

昨日より10分早く終わったなら、それで十分なことなのです。やがて15分早くなり、20分早くなり、30分早くなって、あるいはそこらへんが限界かも知れませんが、それを嘆く必要はまったくありません。

繰り返しになりますが、それは「仕事ができない」ことではありません。

スポンサーリンク



意外なところに「ロス」が潜んでいる

それでも、あまりに時間的な大差がついている場合、根本的な「やり方」を間違っていることが考えられます。

ほとんどの場合、「余計なことをやっている」ことが多いのですが、そこはケースバイケースですから、一概には言い切れません。

しかし、なんらかの「ロス」があって遅いのであれば、仕事を根底から見直して、ロスがないか洗い出すことは大切です。

ものすごく馬鹿馬鹿しい例ですが、どうやっても同僚と時間の差がついていた経理マンが、よくよく調べてみたら、同僚よりも余計にPCのソフトを立ち上げていて、PCの処理速度自体が遅かったなどというケースもありました。

笑い話みたいですが、これは、ある相談コーナーによせられた実際にあった話です。

 

昨今は、PCの処理速度自体が速くなりましたから、そんな例は希有かも知れませんが、それでもネットを見ていても、やたら重いページがあったりしますね。

あれはミスによる「仕事のできない」サイトと言うことができます。

やることはやっている。けれども「遅い」。

これが単純に笑い話で済まないのは、人間のやることは、機械なんかよりも、もっと馬鹿馬鹿しいロスを冒している可能性が高いということです。

余計な回り道をしていれば、他より「できない」のは当たり前のこと。

必要以上に「丁寧」だったりしませんか?

性格的に丁寧な方は、往々にして仕事が「遅い」と言われることが多いことでしょう。

本人にすれば、「丁寧に仕事している」のですから、文句を言われる筋合いはないと言いたいかも知れません。

確かにその通りなのですが、それが組織(依頼者)が望んでいるもの以上であれば、質的にオーバークォリティであり、時間的にアンダークォリティである、ということです。

社会においては、時間も立派な品質のひとつなのです。

売り上げが上がらない

おそらく、営業系では、最も多い「仕事ができない」典型が、これではないでしょうか?

営業は、自分のトークの実力がダイレクトに数字に反映されるので、露骨に「仕事ができない」ことになります。

営業成績自体の上げ方などは、これまで分厚い本になって何十冊と出版されているくらいですから、ここでは割愛しますが、間違いなく言えることは、「営業ができない」=「社会人としてダメ」ではない、ということです。

 

営業話には、よくヒーローみたいな逸話が存在します。が、たとえば「産油国に石油を売って来た」ヤツとか、そんなもの例にとられたって真似できないのは当たり前であり、朝礼の上司の訓示が、必ず正しいわけではありません。

また極端な例をあげますが、たとえば住宅販売やリフォームの会社の営業社員を募集している時。面接で「私は親戚が多い」と主張すれば、雇用される確率は跳ね上がります。

言うまでもなく、(親戚縁者に)売れる可能性が高くなるからです。

実際、住宅営業は親兄弟・血縁者が多いと売り上げは上がります。

では、親戚が多いことが「仕事ができる」営業か?と言えば、むろんそうではないでしょう。
「住宅営業マンは使い捨て」と陰で言われる最大の理由でもあります。

仕事が「できるか」の基準は雇用側にある

けれども、これを雇用側=住宅会社側から見れば、「勤勉に努力はしているけれど売れない」営業よりも、親戚縁者であれなんであれ、家が売れてくれないことには早晩つぶれてしまいます。売上が評価の基準になるのは、ごくごく当たり前のこと。

住宅営業ともなると、売上は2000万円か0円ですから、評価も極端です。

それを、売上が上がらない=営業としてダメ=人間としてダメ、ということにはならない、ということです。

バブル期でもあらばともかく、毎日、家が売れる営業マンなど、全国にひとりも存在しません。

もし営業品目が異なっていたなら、トップセールスであるかも知れないのですから。

よく「俺は営業には向いていない」という愚痴を聞きますが、ちがいます。正確には「○○の営業には向いていない」のです。

それがたまたま、期せずして自分が配属した組織の商品である、というだけ。

このため、営業品目が高価であるほど、営業社員の回転が早いのも、紛れも無い事実です。

このように冷静にとらえると、「売上が上がらない」と「仕事ができない」ことが完全なイコールではないことが分かります。

ただし、会社そのものは「売上が上がらない」と「会社がダメ」なことはイコールです。

経営者は、売れようが売れまいが固定給をいただける貴方より、はるかに厳しい立場にあるわけです。

貴方が上司からののしられる以上のことを、経営者は銀行などから言われることになるでしょう。それこそ、自分よりはるかに若い銀行マンから。

経営者(会社)は、営業品目を変えない限り、ここから脱することはできませんが、貴方には職業・職種の「選択の自由」があります。

自分が、その営業品目に向いていないと悟ったならば、そこから離れる自由が保証されています。幸いにして、今は(2016年現在)求人倍率が1:1より高いのですから。

なにも「仕事ができない」などと自らをさげすみながら、しがみついている必要はありません。

これは営業以外の職種にも当てはまります。

仕事そのものが理解「できない」

次に仕事が「できない」と嘆くパターンは、先述の時間にも関わってくる話ですが、仕事そのものの理解ができない、または理解が遅いというもの。

捉えようによっては、これが最も深刻(?)なパターンかも知れません。

際のところは、これも半数以上は、本人がネガティヴにとらえているだけのことで、実際に話を聞いてみたりすると、言うほどには「劣っていない」のですが、そこはさすがに千差万別。

無責任な「励まし」だけでは解決しないでしょう。

ある意味、学生時代の「数学ができない」とか「英語ができない」のと、よく似た類いの話です。

 

もしも貴方が、学生時代は数学もそこそこできていたとするなら、実は理解力はあるのですから、なにかが間違っているのです。

学生時代当時の、数学を理解しようとしたレベルで仕事を理解しようとしていますか?

学生時代というのは、自分の努力がすぐに点数になって、先生や親から褒められたり、あるいは周囲からチヤホヤされるものですから、そこに手応えとやりがいがありますね。

これが一旦、仕事となると、いまひとつ「手応え」がないものです。これは貴方に限った話でもなく、評価に慣れた学生時代と比較したら、誰だってそうです。

仕事に使っているノートは、学生時代のノートほどに使い込まれていますか?

もともと理解力に欠けている場合

これが「学生時代の数学も英語の成績もたいしたことなかった」場合は、そもそもの理解する方法が”身に付いていない”のです。

そこまで遡ってしまうと、まったく別の教本の範疇になってしまいますが、そのことが分かっただけでも十分です。

なぜなら、貴方はこれから学校の勉強をしなおすわけではありません。貴方の所属する組織は、そんなことを望んでいません。

ここからは、理解力を深めることも含めて、「仕事ができない」から脱却する方法をアドバイスしましょう。
いわば、ここからが本論です。

「仕事ができない」→「仕事ができる」方法

人の能力はさまざまですから、同僚が仕事ができるからと言って、その能力をうらやんでばかりいても、なんの解決にもなりません。

そこには、なんらかの”変化”が必要です。

人は変化を嫌う生き物なので、このことをむずかしく捉えがちです。いわば慣性の法則みたいなもので、誰だって

「今日も昨日と同じ」が実際、楽なのです。

でも「仕事ができない」から「仕事ができる」ようになりたいならば、昨日と同じではダメなことは分かるでしょう。

実はそんなに難しい話ではありません。

内面的に「仕事ができない」のならば、外から入ればいいのです。

スポンサーリンク



ステーショナリーを整える

まず、仕事に使っている文房具、ステーショナリーを整えてみましょう。

100円ショップのものではいけません。思い切り奮発して、これ以上はないお気に入りのものにします。
これは、いわば自分への「投資」です。

会社だって、売上を上げるためには投資を行います。それとまったく同じこと。環境から整えていくのです。

たとえ貴方が、現状「仕事ができない」としても、ステーショナリーだけ見れば、端からは「仕事ができる」人に見えます。

それだけでも、十分な”変化”と言っていいでしょう。

昨今は、スマホがなんでも兼ねてしまいますが、たとえスマホで間に合うとしても、わざわざステーショナリーを整えます。

たとえば、手帳やノートに数千円もかければ、「そのまま白紙にしておくのはもったいない」と考えるのが普通です。
そこが「仕事ができない」から脱却する第一歩になります。

デスク周りは『コクピット』だ!

次に、仕事上の環境と言えばデスク周り。

これを整えまてみましょう。
特に男性は、(生物学的にも)整理整頓がヘタクソですが、仕事ができる人と、できない人のデスク周りは、一目で分かります。

だからと言って、急に片付ける必要などありません。

そうした教本は溢れていて、貴方も何度かは挑戦し、挫折したではありませんか。

そこからして、貴方を「仕事ができない」と思わせている原因でもあります。

まずは考え方です。

ジェット機には、数十種類のメーターと、それを上回るスイッチ類がついていますが、理由もなくただ並んでいるわけではありません。

より見なければならないメーターが視界に入るよう真ん前に来ていて、より使うスイッチ類が手元近くにあります。

貴方にとって、デスクはパイロットのコクピットと同じ。なぜなら、彼らと同様、そこが仕事をする所であるのですから。

より使う物は近くに。使わない物は遠ざけます。

これだけ。

これくらいなら、たとえ貴方がどれほど整理整頓が苦手だってできるでしょう。

たとえボールペン1本であっても、それを手に取るまでの時間が、たったこれだけのことで短縮されます。

わずか数秒であるかも知れませんが、それだけ貴方は「仕事ができる」ようになったことになるのです。

チリも積もれば山。1ヶ月の間で、どれほど変化があることか。

とにかく外見から入る

内面が変えにくいのは誰だって同じです。貴方に限った話ではありません。

ならば外からとりかかります。

女性は、とかく『自分にご褒美』を好む生き物ですが、まずはこの発想を改めます。

自分にご褒美→自分に投資

お気に入りのパンプスがあるなら、躊躇せず、たとえなんらご褒美のもらえる「手柄」がなくても、揃えるべきです。

外回りであるなら、できれば歩きやすいシューズも一緒に。

鞄なんかもいいですね。

それらは、貴方が貴方自身に行った「投資」なのです。

 

投資とは、「やがて得られるであろう収益に対して与える」元手です。
同じ物であっても、妥協に妥協を重ねた「ご褒美」とはまったくニュアンスが異なります。

少なくとも投資してから数日の間は、投資の元をとろう、と思うようになるでしょう。

もしダメだったら?

ネガティヴな貴方は考えるかも知れません。

けれども、それはそれでいいのです。

もともと投資とは、そういうものなのですから。

大企業だってそうなのですから、ましてや個人。

たとえ数日間であっても、貴方が「仕事ができる」ようになろうとした努力こそ、貴方が得た貴重な宝となるのです。

昨日とは違う自分。

周りの人も気づくほどに変わったのです。

奮起するなかれ

そうして変わった環境は、やがて貴方自身も変えていくでしょう。

それは、あるいは本人も気づかないほどの微妙な変化かも知れません。

むしろその方が理想的です。

人間、「よっしゃ!」と奮起しても、実はそれを持続するのは、それをはるかに上回るパワーが必要です。

これがキツいから、貴方は「仕事ができなかった」のではありませんか?

思い立ちはするのだけれど、持続しない。

これを何度か繰り返していると、そこに挫折感が産まれて、やがて奮起さえしなくなります。

そして、俺は(私は)「仕事ができない」ことに繋がっていきます。

それでも、お気に入りのステーショナリーやパンプスを買うくらいは、できるでしょう。

そこに「奮起」は必要ありません。

揃えたならば、それは貴方への投資ですから。「少しくらいは元をとろう」と考えてください。

そこにも「奮起」は必要ありません。

だって、「お金がかかっている」のですから。損はしたくないでしょう?

デスク周りは、ペンを側に置く。よく使うノートは目の前に置く。

そうです。そこが貴方の『コクピット』だからです。

それで、なんとなく以前よりペンをとるまでの時間が短縮されたのなら、もう、それだけでも上出来です。

これを「よっしゃ!」と奮起して片付けたりすると、長続きしません。

数日後には、机の上は、またグチャグチャで、結局、「俺はダメなんだ」という挫折感のみを残します。

たとえグチャグチャであっても、「普段使うペンだけは前より近くにある」なら、それだけでもいいのです。

やがてそれは、ノート類、ファイル類にも波及しますから。

もう何度も言われているでしょうが、時間は無限にあるように見えて、実際には限られています。

そうして、それぞれは微妙な変化であっても、やがてそれらが貴方を「仕事をできる」状態に持っていってくれるでしょう。

少なくとも、「仕事ができない」という自虐的な考えからは脱出させてくれます。

長くなりましたが、では、ネットで文房具でも閲覧してみてください。
心より成功をお祈りします。

スポンサーリンク



ページの先頭へ