社会人に嫌気がさした若者に伝えたいこと

社会人
仕事の疑問

学校を卒業すると同時に、ある日突然的に「社会人なのだから」と言われるようになります。別に心配はいりません。ほぼ全ての人がそうです。

学生の頃に「最も身近な社会人」は、自分の親や兄、あるいはテレビドラマなんかを見て、漠然と「社会人」を理解したつもりでいるものです。

けれども、たとえば父親というのは、帰宅して「今日も大変だった」とか言って晩酌をする程度の場面しか垣間みていませんから、親がどういう環境で、どういう社会人として「大変」だったのかは、まったく分かっていません。

テレビドラマしかり。だって、テレビドラマの描く社会人は、それは嫌なヤツもキャストとしては出て来たりもしますが、理解に深い上司がいたり、OLはみんな美人だったりで、お終いは必ずハッピーエンドで終わります。

でも、実際に自分が社会人になれば「ハッピーエンド」はありえません。

当然ながら翌日も仕事はあるし、解決したと思ったことが何度もぶり返したりします。

「思い描いたものと違う…」

そう思うのは貴方だけではありません。

なぜなら、社会人の定義というのは、その人の置かれた環境で微妙に変わってくるからです。

晩酌していた父親には、父親なりの「社会人」としての環境。

ドラマの主人公には、ドラマそのものではなく、キャストとしての環境があるわけです。

貴方と、一致することはありません。

日本社会における社会人とは

「社会人」の定義は、国によってもまるで異なります。
日本における「社会人」とは、あくまで日本社会における「主に勤労者」を指しているのであって、たとえば中国のそれとは似て非なるものです。

それが幸いであるかどうかはさておいても、日本は他国と比べて、かなり独自な社会人を求めています。

たとえば、・礼節・マナー、・秩序・年功序列などなど。数え上げればキリがありません往々にして、それらは世界的にはかなり高く評価されているようです。

学校を卒業して「日本社会」に入った限りは、好む好まざるに関わらず、これに沿わないと社会人として「生きにくい」ことになります。

どうしても日本社会に合わないのなら、外国を選ぶという手だてもないこともありません。その自由は憲法で保証されています。

自分で「社会を選ぶ」という方法です。

でも「外国に行くほどのことでもない」のなら、どこかで妥協して、迎合するしかありません。

海外の人が、日本社会を高く評価している、ということは、海外はさらに「生きにくい」可能性だってあります。

社会人としての環境を変えるためには

そこまでいかなくとも、ある程度、社会人としての環境は選ぶことができます。

最も簡単なものは、「会社を変える」というもの。特に現代(2016年現在)は、求人については圧倒的な売り手市場ですから。

思い切るかどうかはともかく、このこと自体が、働く社会人にとって大きなセイフティネットになっていることは間違いありません。数年前の人たちには、それさえ危ういものでした。

さらに昔は、『石の上にも三年』などという諺が、『継続は力なり』と同時に新人社会人にそのまま適応されていたのですから、たまりません。

三年経った時点で「やっぱりダメだった」場合、3歳、確実に年老いているわけですから。

と同時に、この「いつでも環境を変えられる」ことが、多くの社会人類に”甘え”をもたらしていることも否めない事実でしょう。

最近の若者は「嫌なことがあるとすぐに辞めてしまう」などという類いの話は、それこそ年中聞くことができます。

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自分の社会人としての環境、本当に自分に合っている?

では、どうやって自分の社会人としての環境が「自分に合っているのか?」を知ればいいのでしょう?

「気に入らない」とか「おもしろくない」とかは、あくまで主観であって、会社という環境を変えても、たいてい同じような感情に出くわします。これはもう保証してもいいくらいです。

肝心なことは、その感情が主観であるのか、他の社会人の目から見てもそうなのか?ということです。

もし、多くの社会人から見ても、「そんなのどこの会社だってそうだよ」とか、「ウチはもっと厳しい」というようならば、変えなくてはならないのは貴方自身の方であり、環境を変えても同じことにでくわす可能性が高く、そしてその間にも年齢を重ねることになります。

昨今は、ネットの発達によって、こうした「比較対象」は実に楽になりました。

Google先生を駆使し、類似した環境の人と比べるもよし、個別相談するもよし。自分のいる「社会」がおかしいのか、自分が「社会人」として未熟なのか。まずは比べてみることです。

その上で、環境を変える方がいいと思うならば、躊躇する必要は(少なくとも現代は)ありません。
躊躇している間は、貴方にとって、もはやロスでしかありません。

社会人が嫌になる大きな障害は上司の可能性が高い

社会人になって、最も身近で、かつ障害になる他の「社会人」は、たいていの場合は上司でしょう。

多くの「部下」が、会社を辞める原因のひとつとなっていますが、では、上司とは貴方にとってなんでしょう?

これは先刻ご承知の通り、

  • 貴方よりも長く会社にいて
  • 貴方を指導する立場にあり
  • 貴方を評価する者

です。

この「指導」と「評価」が同居しているから、やっかいなわけですが。

自分より長く会社にいたからといって、聖人君子でもあるまいし、確かに「正しい」とは限りません。

とんでもないヤツが社会にいることも事実です。

貴方だけではありません。

夜の酒場に行けば、ほぼ100%の確率で「上司の悪口」を聞くことができます。あるいは貴方も他の人に聞かせたかも知れません。

その相手は、ほとんどが「同僚」、もしくは関連のない他の上司でしょうか。

同僚の場合は、「その通り」と貴方の立場に理解をしめすかも知れません。

他の上司の場合、「まぁまぁ」と貴方をなだめるでしょう。

けれども、どちらも貴方とともに会社を辞めるなどということはまずなく、よしんば口裏を合わせていたとしても、ほぼ裏切られるでしょう。

貴方に貴方の考えと環境があるように、同僚には同僚の、上司には上司の環境があるわけですから。当たり前。
ともすると、貴方の吐いた批判を、そのまま当人に伝えられることさえ十分ありえます。

愚痴は大切なリサーチ

世間一般で、こういった上司への悪態や、会社への不満を口に出すことを『愚痴』と呼びますが、社会人、特に会社員で、愚痴らない人に出会ったことがありません。

つまり、人に関わる限り、誰だって不満をかかえて生きている、ということです。

あまりいい意味で使われない『愚痴』ですが、愚痴には、自分の立場を理解する上で、大事なリサーチでもあります。

ひとつは「自分が正しいのか」or「上司(もしくは会社)が正しいのか」。

同僚と話す場合、多くは貴方に賛同するでしょう。

大事なことは、賛同しているからといって、そのレベルは貴方とは一致していませんし、正義だけで他人や会社が動いているわけではない、ということを知っておくことです。

酔いながら、これを維持するのは難しいかも知れませんが、それでも愚痴に賛同を得られるのは、本人(貴方)にとって心地いいことであることは間違いないでしょう。

愚痴は、貴方にとって、自分の環境を計るリサーチにもなります。

時にそれが、直接本人や会社に伝わったとしても、貴方がそう思っていたことは事実なのですから。

あまり望むことはできませんが、部下を思う会社や上司であれば、多少なりと変化があるやも知れません。

その場合、貴方は、その環境に居続ける価値があると言っていいでしょう。

あとは、労苦に対する「対価」のみです。

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社会は「妥協」でできている?

わりと有名な話ですが、商社に勤めた会社員が、石油の買い付けを任され、親友のやっている産油会社を訪ねる、という逸話。

この会社員は、「アイツは親友だしいいヤツだから、俺には安く売ってくれるだろう」と考えて商談に向かいます。

対する親友は、「アイツは親友だしいいヤツだから、俺からは高く買ってくれるだろう」と思っている、という。笑えるようで笑えない「笑い話」なのですが、社会では、こんなことは腐るほどあります。

この場合、結果として相手は「いいヤツ」ではなくなります。

なにしろ、「安く売れ」と「高く買え」ですから。まったく利害が一致していません。

実は社会=特に経営者と社員もこれに当てはまります。

会社としては「安くたくさん働いてくれ」と思っていて、

社員の多くは「高い給料で、休みも多く」と思っています。

そうやって見ると、社会は中間にある「妥協点」だけで成り立っていることになりますが、はたしてそうでしょうか?

たとえば、多くのボランティア活動などは、対価が安いどころか「ない」わけですが、人はそれに「やりがい」を見いだして、労働を提供します。

ここには、前述の会社と社員のような、立場による妥協点はありません。

この仕事は「社会」の役にたっている、という自負があれば、対価が低くてもできたりします。

公務員だけが社会を動かしているわけではない

結論から言ってしまえば、社会の役にたっていない仕事などというものはありません。

公に認められている法律に触れていない仕事であれば、なんらかの意味で社会の役にたっています。

ボランティアは、対価0円でそれを行い、会社員は対価を受け取って行っている、というだけのこと。

なにも政治家や、公務員だけが社会を動かしているわけではないのです。

ただし、そこに「やりがい」を見いだせるかどうかは、人それぞれ。価値観も育った環境も異なるのですから、当然のことです。

選択すべき社会人としての環境とは、会社とか給与とか、ましてや上司などではなく、その仕事に「やりがい」を見つけられるかどうかでしょう。

ただし、会社があなたが持っている「やりがい」を見いだしてくれる保証はどこにもありません。

また、それは時代とともに変わっていくのです。

時代は流れている

ずいぶんと昔のこと。とあるホームセンターに勤めたレジ担当の女性は、パートタイムであったにも関わらず、3万点にも及ぶ全商品の価格をほぼ暗記し、レジを打つ速度では正社員も含めて右に出る者はいません。

彼女は、それを誇りに思い、そこにやりがいを見いだしていたわけです。いつかは会社にも認められて正社員になることを夢見ていました。

当然、会社も重宝していたはずでしたが、正社員はおろか、彼女の給与を上げることはしませんでした。

なぜか?

この頃、バーコードリーダーを備えたレジスターの営業が、すでに売り込みに来ていたからです。

バーコードリーダーがあれば、価格を覚えている必要はありません。

今日やって来た新人のパートさんでも、100%価格を間違えることなく、レジを打つことができるのですから。

一方、そのバーコードリーダーの販売会社には、業界内で「神」とも呼ばれたシステムエンジニア長がいました。

彼は、かつてシステムがテープリーダー(プログラムが紙テープに開けた穴で記録されている)で動いていた頃、その紙テープ数メートルを手の感触だけで読める、という、まさしく神業を持っていました。

しかし、このバーコードレジスターのプログラミングで、彼の能力を発揮する場はありません。

すでに記憶装置は、とっくに磁気装置に置き換えられていて、プログラミング言語も数段進化していたからです。

前者のホームセンターは、会社側が社員の努力ややりがいに、まったく報わなかった例ですが、結論としては会社側が大損していると言っていいでしょう。

全商品の価格を暗記したほどの人であれば、別の仕事でもその能力は発揮されたはずだからです。

彼女は、パートタイムですから、辞めて同業他社に行くことになりました。

経営者の「見る目がない」よい例です。

対する後者のシステムエンジニア長は、それなりに重用されています。

彼自身もまた、いまさら紙テープを読みたいとは思っていないでしょう。

システムエンジニアの業界では、こうした流れはすさまじく速く、3年前に一線にいたプログラマーが今年優秀とは限らないのです。

この現象は、ロボット化、人工知能化のすすむ現代では、まったく他人事ではありません。

医師でさえ、あと数十年後には「なくなる職業」に数えあげられているほどですから。

大切なのは、時代を見据えること。

逆に言うなら、流れくる時代が貴方の新たな契機になる可能性だってあるわけです。

たとえ今が、貴方にとって疑問に溢れかえっていても。

年長者と年少者の考えは違う

さて。会社や労働を「社会」の代表的なものとしてとりあげてきましたが、社会を構成しているのは、なにも経済活動ばかりではありません。

ただ社会生活の7割近くを、そうした経済活動が占めているというだけで、ほかにも地域における活動や、娯楽だって社会人としてのルールはあります。

都会においては、地域意識は薄れていますが、地方にいる方なら痛感されていることでしょう。

その多くは、ありていに言ってしまえば「面倒」です。ちがいますか?

前述の上司のケースでもそうですが、ひと昔前まで社会人としての「人生の先輩」は、少なからず尊敬に値するものを見いだすことができました。

長く生きている=経験が豊富ですから。学ぶべきことはたくさんあったわけです。

ところが時代の進化が速いと、そうとは言い切れないことがたくさん出て来ました。

ちょうどワープロが普及し始めたあたりからでしょうか。当然のことながら、新入社員の方がキーボードに精通しており、上司たちは、はるか後輩である部下から学ぶ事になったわけです。

これがウィンドウズ95登場と同時にPCが普及し始めると、なおのこと顕著になりました。

年配者が年少者に教えられることは、着実に減っています。

これは社会における不幸と言ってもいいでしょう。

日本社会は、もともと年長者→年少者の秩序で出来上がっているところが大きかったからです。

地域社会においては、必ずしも経済活動とは同一視はできません。

まだまだ年長者に学ぶものは多いはずですが、単独行動の多くなった昨今の若い人たちが、それを受け入れるのは、やはり難しくなっているように見受けられます。

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そんな年長者とうまくつきあう方法

それでも社会の中で生きて行く以上、そうした古来からのルールを無視して生きて行くことはできません。

これは会社における上司にも当てはまりますが、もっとも簡単な方法は、

「感情は一旦持ち帰る」

これにつきます。

年齢差のギャップは、時に感情の対決となって現れがちです。特に年長者の言うことは、現代の若者にとっては、かなり「ズレている」と感じることも多いでしょう。

感情で話しているうちは、相手の生きた時代背景などには、とうてい思考が及びませんから、理解できないのも当然のことです。

最後に

社会というものは、たくさんの年齢層と、たくさんの社会人で構成されているのです。

そこに身を置く限りは、対応していく以外にはないのです。

たとえば、最初に述べたように、海外という環境を選んだとしても、まったく同様の現象に出会うことになるでしょう。

彼らの姿は、やがて未来の自分でもあるかも知れないのですから。

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